おめめどうの支援


おめめどうは、療育を提供する会社ではありません。
暮らしを助ける会社です。

療育で、その子の能力を底上げすることよりも、その子が生活をしやすくなるような暮らしのサポート方法を提供することを主眼に置いています。

 

私たちがやろうとしているのはおめめどうの支援方法をお伝えすることです。
奥平さんの講演会で直接おはなしを聞いていただいたり、ハルネット(おめめどうで行っている相談用のメーリングリストのことです)を利用したりするのが、知識を得る方法としてはベストだと思いますが、最初はハードルが高いと思うので、個別の相談に乗れる仕組みを作りたくて始めました。

最初の一歩を乗り越えて、見える暮らしを作るためのお手伝いができたらと思います。
どうか、今困っていることを、困ったままにしないでください。

 

子どもとあなたがわかりあえる暮らしを作っていきましょう。

長くなりますが、奥平さんがフェイスブックに書かれていたものを、そのまま載せます。

 

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【拡散希望】

もう、一回読んでください。(2013年のやけど)

 

<スケジュール、みとおしとはなんでしょう?>

 

 幼児期の最初、次はこれだよと次起こることを示すことで、行動を促すようにしていきました。

 『本当に、絵カードなんて必要なの?』と疑心暗鬼だった頃のことです。スーパーへ買い物に行くと必ずその前の公園の遊具で遊ぶ息子。私が、もう、帰りたいなと思っても、なかなか動いてくれなくて、毎回、いらいらしていました。

 

 それで、あるとき、仕方なくさらさらと描いた「車の絵→おうちの絵」を見せると、すっと車へ移動してくれたのを見て、やっぱり「お家帰るよ~」の声かけだけは違うんだわと、わかったのです。私に、ちっちゃな風穴があきました。

 

 診断を受けて、すぐに、視覚支援、スケジュールをし始めるのですが、当時は、私の都合のよいように動いてもらいたいので、「トイレ行きますよ」「お散歩ですよ」「お風呂ですよ」「ご飯ですよ」と、こちらのしてほしいことを絵カードにして示していました。

 

 スケジュールはというと、一日の中で、保育所、プール、言葉の教室、歯医者、レストランなど、行き先があると、順番に差し込む形でした。実際している人もいない、書物の挿図から見よう見まねで作ったスケジュールがわかるはずもなく、反応もなく、長い間『こんなの役に立つのかな?』と思って続けていました。どうして続けたか?と言われたら、時々、ヒットする、そのきらりと光るものがわかったからです。

 

 『ああ、この子、見たほうがわかるんだわ』と、そういう瞬間が時折あるのです。

 

 さて、次の行動を示すことで、次がわかり始めたら、次の次二枚を提示していきます。「スーパーに行って、銀行ですよ」という感じです。次は三枚、「スーパー→銀行→おうち」。続けていくと、本人にも、こういう順番ででかけるのだなと、みとおしができてきたようでした。

 

 家の中のスケジュールは、空間的な移動が無いのでなかなかわかりにくいようでしたが、出先のスケジュールは、体の移動がある分わかりやすく、また、しないときとするときの落ち着き具合が違うので、「みとおしの大切さ」はよくわかりました。

 

 幼児期、学童低学年までは、圧倒的にこちらが作るスケジュールです。世の中の仕組み、どんな流れであるのかを伝えるという意味もありますし、すべてにおいて、最初の行事、経験です。それまで経験がないだけに、こういう風になりますよを伝えることに必死になります。

 

 子供も、まだ、大人の言うことを聞く喜び、わかって、褒められる嬉しさから、そういう「伝えてもらうスケジュールや視覚支援」でも、違和感なく進んでいきます。

 

 けれども、小学校入学のときに、制服を着る順番の手順書を作ったとき、なかなかその通りにはいかず、おかしいなあと見ていたら、そのうち息子が自分で番号を振って、着やすい(着たい)順番にしていました。それをみて、なるほど、こちらが提示するのは、私のやり方であって、本人がしたい順番ではないのだなに気がつきました。

 

 それからは、どの順番ならフィットするだろうかを考えるようになりました。当時は、まだ本人に聞くというところまではいっていませんでしたので、あくまでも憶測です(今の方には、本人に、やりやすい順番を決めてもらうといいですよと伝えています)。

 

 世の中には流れがあるのはわかる。でも人はこういうけど、自分はこうしたいが、必ずでてきます。学童中期からは、それが顕著になり、そことの折り合いは「本人が選ぶところを増やす」でした。

 

 食べ物や飲み物、行き先など具体的な事柄で選んだところをスケジュールに入れるは、入学時からしていましたが、段々と、誰とするひとりでする、いつする、どこでするなど、より広い範囲で本人の選択が入ったスケジュールになっていきました。

 

 また、本人が選んだ順番に過ごす、終わってからのこと(ご褒美等)を本人が決めるようにすると、よりその時空間を、受け入れてもくれるようになりました。

 

 思春期ともなると、平日は学校があるのとほとんどルーティンでしたから、同じようなスケジュールでしたが、休日は自分で出かけるところを書いていくスタイルになっていきました。先に本人が書き、そのあと、こちらの希望を書き入れるという具合です。けれども、それは、出発するときに、書いてもらうだけのものでした。

 

 また、休日の時間軸は、自分で決められるものの、予算軸は、親の財布からでしたので、おでかけの間にどのくらい使っていいかというのも、その日の気まぐれになってしまい(母親父親で対応が違う、祖父母からの臨時収入など)、考えてスケジュールするというよりは、思い付き、勢いで決めることや、無理難題になってしまうことも増えていきました。段々と体が大きくなり(親との逆転)、パニックの怖さから、安易にOKを出すことも増え、抑制が効かない状態にもなっていきます。

 

 また「スケジュールを変更していい」ということがわかっていなかったため(それすらもこちらは気付いていない)、本来なら、本人は、やめたいなと思っていることでも、それがだせないために、「最後までしないと気がすまない」「ちょっとでも行き先や順番を間違うとパニックになる」ようにもなっていきました。

 

 18歳の夏、病院から退院をするときに、一週間前の面接で、一緒にスケジュール(本人が選んで、私が書き、OKをもらったもの)を作っていましたが、お師匠さんから「障害支援は生ものやで、もう一度聞きや」と指摘され、退院時に「これからどうしますか?」とみとおしメモを渡すと、一週間前とは異なり、「スーパーに寄りたい」とスケジュールを書きました。理由は、プラレールを見るでした。そうなんだ、「気が変わった」んだ。「考えてみたら(それなら)こうしたい」という想いが誰しもあるだとようやく気が付きました。

 

 それからは、本人に、「どうしたい?」を必ず、みとおしメモで聞くようにしました。出発時書いてもらい、出先の帰りにも、また「じゃあ、どうする?」と聞くようにすると、「いったん決めたとしても、自由に変えていいんですよ」がわかっていきました。(今、おめめどうのユーザーさんには、必ず、「じゃあ、どうしたい?」を問うようにお話しています)

 

 また、年金から生活費を考え、予算軸がきちんと決まったことで、使えるお金、貯めておきたい金額などがはっきりと意識され、どこで買う、なにを食べる、高速を使う・使わないなど、財布具合、時間具合で、計算されたというか、思慮されたスケジュールを書くようになりました。

 

 もともと巻物カレンダーで、しっかりしたカレンダー感覚もあるので、時間軸と予算軸がそろうと、これほどまでに、違ってくるのかと思うほどきりり生活が変わりました。

 

 そうなると、平日でも、自然に暮らしの予定を立て、気が変わると変更して、本当の意味で、「本人のスケジュール」になっていきました。すると、過剰に気にすることもなく、予定通りにいかなくても、やり過ごせる。そのやわらかさは、やはり、人から与えられる(書かされる)スケジュールじゃなくなったから、変えていいものになったからだと、つくづく思います。道具は同じ「みとおしビッグボード」です。でも、まるで違うものなのです。

 

 さて、「みとおし、スケジュール」とはなんでしょう?

 

 自分たちにもある感覚なので、ぜひ、わかってください。けして、その日のやること、予定が並んでいるのがスケジュールじゃないってことを、知ってもらいたいので、セミナー等では必ず、このお話をします。

 

 みなさんは、10時に始まるセミナーに参加するために、何時に家を出ようと思いましたか?はい、「8時出発」と決めたとしましょう。すると、それまでに、食事して、洗濯して、干して、洗い物をして、テレビの星占いを見て、化粧して・・・・順番やら時間の配分やら考えたでしょう。

 

 その「8時出発」に合わせるように動いていませんか? 「8時出発」と決めたから、きびきびと動けたのではないですか?

 

 自閉症の人もスケジュールがあることで、それと同じ感覚で過ごしていかれます。だから、スケジュールのある人は、次の予定がわかっているので、そこまで『若干の緊張』を持って考え行動し、過ごされるのです。

 

 でも、スケジュールの無い人は、予定もわからない(つまり、いつ出発するのかもわからない)、順番もわからない(なにからしていいかもわからない)ために、緊張感の無い状態に置かれてしまいます。だから、目の前に在るものへの衝動性やつまらない困ったこと、頑ななこだわりなどを繰り返すしか、なくなってしまうのです。

 

 ある旅先で「7時食堂で朝ごはん」とスケジュールしていました。初めて、別々の部屋で泊まったときのことです。海のそばだったので、私、気になりましてね、目覚めて、何度か、息子の部屋中を見に行きました。すると、朝の5時30分頃に、テレビゲームを始めました。やれやれこれで安心と思い、しばらく部屋で過ごし、6時45分くらいかな、また覗くと、全部クリアをしたらしく、うれしそうな声が聞こえていました。それから、7時まで、部屋をウロウロしている様子がわかりました。そして、7時きっかりに食堂に下りてきたのです。

 

 その時、はっきりわかりました。スケジュールとは、次の行動がわかることで、それまでの過ごし方を自分で考えることなのだと。7時食堂、それまでに、全クリアになるように、ゲームを一時間半前からスタートしていたのです。そこまで考えているんだと、あらためて、スケジュールに感動しましたよ。もちろん、部屋の壁を叩いたり、障子を破ったりなどのいたずらも、一切ありません(旅館の部屋にひとり、心配なことはたくさんありました)。

 スケジュールは、「身の振り方を考える」ためのものなのです。

 

 だとしたら、人から与えられたスケジュールで、変更もできないとなると、いずれ、窮屈な思いになっていくのは、十分に想像できるでしょう。

 

 また、身の振り方を考えているなら、急な変更は、受け入れるのにしんどいなとわかるでしょう。せっかく、今日はこうしてああしてと思っているところに、今日は、歯医者に行くからねと言われたら、やっぱり、不安定になってしまいますよ。

 

 以前の特性の説明で、「納得するのに時間がかかる」と私は書きました。でも、それは、こちらからの表現でしかありません。変更ができないわけじゃない、でも、自分も考えている(きた)んだよ、それを、また一からやり直せっていうの?ちょっと待ってよ!という気持ちが、本当のところなのだと思います。

 

 それがわかってからは、「変更が受け入れられるようになった、成長した」なんていう馬鹿なことは、思わなくなりましたよ。「成長」と呼ぶ、その陰には、こちらの無知ゆえの愚かさが「ただ単に、そこにある」ということに、気が付いたからです。

 

 知的障害者・自閉症者も考えている。この自然な(あたりまえの)ことに気が付きさえすれば、そんな馬鹿な表現はできないでしょう。

 

 さて、身の振り方を考えるには、判断する情報がいります。それが、自分に課せられている仕事であったり、周囲の人の予定であったり、使える予算はいくらあるのかであったり、いつならダメで、いつなら大丈夫かの日程、カレンダーであったりするのです。それらが、わかる形で見える化されているからこそ、そこから「自分で今日の予定を考えていくこと」ができるのです。

 

 残念ながら、息子が成人近くになるまでこの状況に至りませんでした。私が気付かなかったのです。息子が入院をしてもなお、なにが彼を苦しめている本当の原因なのかもわかっていませんでした。複雑なことがミックスされてのことではありますが。

 

 でも、もっと早くから、私にスケジュールの意味と、本人に伝えるべきことがわかっていたら、そして、もっと表出まで待てる、お膳立てをしない親でいたのなら、学童の高学年からは、今のような自由なスケジュールになっていただろうにと。

 

 そうできていたら、もっと楽な思春期が送れただろうにと思うと、非常に残念な気持ちになります。正直、大変な後悔を感じています。

 

 だからこそ、これからの人には、スケジュールの本当の意味合い、考え方を、ぜひ、知ってほしいのです。

 スケジュールは、こちらがしてほしいことを並べて押し付けるものではありません。本人に触らせないなんていうのは、論外。もってのほか、大間違いです。

 

 自分が必要な情報から判断して、自分で作り、自分で変更し、身の振り方を考えていくものなのです。私たちもしていること、それを、自閉症の特性から『見える化』するだけのことなのです。

 

 本人のものだからこそ、スケジュールが、本人と周囲とのコミュニケーションとなりえるのです。スケジュールボードは、コミュニケーションボードになってはいけないと言う人もいますが、それも、違います。周囲が手を出すから、混乱するだけなのです。

 

 そのことを、これからは、伝えていきたいと思っています。もちろん、おめめどうと繋がって、知りたいと思う人には、ですが。